小島 聖

日々

2025.05.16

PARCO劇場にて「星の降る時」という芝居を観た
私とは
女性としての私は?子供のいる私は?仕事している私は?
同じ人物でもいろんな側面がある
けれどどこか一つ満たされていないと全てが不安になってくる
結局は愛されたい
そうすれば満たされるはず
自分を肯定できれば前へ進める原動力になるはず
インナーマザー(斎藤学、著)という本を読んでいると
いろんな例に自分の生活を当てはめてしまう
そうすると、こうじゃないか、ああじゃないかと不安が募る
専門家と話をしてアドバイスをもらうわけではなく、
誰かが専門家と話した事例だけを読んで自分を当てはめようとする行為は非常に危険な気がした
全てが当てはまるし、当てはまらないから
自分の生活を考えるきっかけにはなる
本当に問題があるのなら自分でクリニックを訪ねた方が話がシンプルに前に進むと思う
小さな家族という単位で物事を見ていると世界は小さく感じる
小さな閉塞感の中から飛び出したくて外へ目を向けると、
宇宙や何億年も前の世界に憧れを持ち思いを馳せると広大で果てしない
現実逃避
でも現実で
イームズのパワーオブテンというショートフィルム映像を思い出す
何気なく芝生に転がっているところからどんどんカメラは離れていく
地球、銀河系を超えて真っ暗な宇宙の中に連れていかれる
その逆もまた然り
広大な宇宙からどんどん近づいていくと
小さな家族の単位が見えてくる
そこはどうしようもなくざわざわしていて引きこもごも
それが愛おしくてうざったくて
生きていくって面白いししんどい
今回の芝居の作者、ベス・スティールの考えに共感する
「オーケストラの楽器のように全ての登場人物が独自の音色を持っていて、
それがシンフォニーを作り上げる。
難しいのは、一つ一つの楽器がきわめて重要でソロとして輝く瞬間がありながら全体を構成する要素でもなければいけないということです」
今回の芝居の登場人物一人一人が個性的でありながら、誰か1人が目立つわけでなく
家族というシンフォニーを奏でていたなと思った
だから観終わった後に疲れたし、面白かったし、自分の生活を顧みる時間にもなった
それぞれが思うことを吐き出す
受け入れているのか聞き流しているかはわからないけれど、吐き出せる環境に家族があるということが羨ましかった
現実世界で思いを吐き出すってかなりエネルギーがいるし、その後の関係性がどうなっていくか考えると怖くてなかなかできないのが私だ
自分の課題が見えてしまう芝居、芝居の人物が私の代わりに言葉を発してくれているという錯覚を
覚えてしまう。
そのくらい日常的な物語で素敵な芝居でした