2025.09.05
ブロードウェイ・バウンド
パルコ劇場にて4日に初日を迎えました。
ニールサイモンの戯曲
日常の誰にでも思い当たる出来事の物語です。
劇中にユージンが語るモノローグの一つ一つ
サラッと受け流せない、心にピンを打つような言葉が魅力的です
この芝居を観た方の年齢、立場、環境によって受け止め方が変わってくるかもしれません
私の場合、一児の母となったいまだから受け取れる言葉、
女性として生きてきた時間の積み重ねで感じること、
家族との関わり方で気づくこと、
男性が観劇になったらまた違った側面からこの芝居を受け取ることになるのしょう
取材等通して共演者の方々がおっしゃってますが
いいチームワークの毎日です
10月の大阪での千秋楽までスタッフ、役者、お客様との時間を大切に
楽しみたいと思っています
https://stage.parco.jp/program/broadwaybound
2025.08.25
今年の夏は稽古をしているのでなかなか夏らしいことができずにいる中
いろんなタイミングが重なって日帰りではあったけど
夏山を歩くことができた
とっても久しぶりの南アルプスへ
結論から言えば、南アルプルが大好きだ
歩き始めの1時間、日常の猛暑で流す大量の汗とは別の種類の汗を頭、顔から
滴り落ちるくらいに流し、ウエスト周りはザックのベルトもしてるからTシャツがびしょびしょ
不快でなく爽快
どんどん軽やかになっていく
ハイマツ地帯に出ると空が近く遠くの山も見渡せる
思わずバンザイしてしまう
この感覚、久しぶりで嬉しい
稜線から森の中に視線を移すとポツンと山小屋が見える
この景色も大好き
見えてるのに歩くとなかなかに遠く簡単には辿り着けない
緑の中に赤い屋根がポツンとあるとなおさら嬉しい(今回は茶色の屋根)
昼に近づくにつれ下からガスが上がってきた
そのタイミングで人の少ない沢の多いトレイルを歩くことに
このところの熊報道
熊鈴を携帯していたのだけれど、ハイマツ地帯でひっかけてしまったみたいで気づいたら無くしてた
誰かがそばを歩いていてくれたら安心だけど、たまたま前後に人がいなくて
手拍子したり、いま稽古している芝居のセリフを声に出して確認したり
怖くてソワソワして歩いた30分くらいの間の風景が今回一番好きだった
私にとっての南アルプスらしい風景
水が豊富でその周りに可憐な高山植物が咲いている
嬉しいため息がもれる
沢の水は冷たくって飲んで潤し、顔を洗ってリフレッシュ
そろそろ9月
初日が近い
とても素敵な役者さんたちとの稽古は楽しいです
だれにでも、あっ!って思える瞬間がある家族の話です
2025.07.23
2025.06.26
2025.06.11
2025.05.16
PARCO劇場にて「星の降る時」という芝居を観た
私とは
女性としての私は?子供のいる私は?仕事している私は?
同じ人物でもいろんな側面がある
けれどどこか一つ満たされていないと全てが不安になってくる
結局は愛されたい
そうすれば満たされるはず
自分を肯定できれば前へ進める原動力になるはず
インナーマザー(斎藤学、著)という本を読んでいると
いろんな例に自分の生活を当てはめてしまう
そうすると、こうじゃないか、ああじゃないかと不安が募る
専門家と話をしてアドバイスをもらうわけではなく、
誰かが専門家と話した事例だけを読んで自分を当てはめようとする行為は非常に危険な気がした
全てが当てはまるし、当てはまらないから
自分の生活を考えるきっかけにはなる
本当に問題があるのなら自分でクリニックを訪ねた方が話がシンプルに前に進むと思う
小さな家族という単位で物事を見ていると世界は小さく感じる
小さな閉塞感の中から飛び出したくて外へ目を向けると、
宇宙や何億年も前の世界に憧れを持ち思いを馳せると広大で果てしない
現実逃避
でも現実で
イームズのパワーオブテンというショートフィルム映像を思い出す
何気なく芝生に転がっているところからどんどんカメラは離れていく
地球、銀河系を超えて真っ暗な宇宙の中に連れていかれる
その逆もまた然り
広大な宇宙からどんどん近づいていくと
小さな家族の単位が見えてくる
そこはどうしようもなくざわざわしていて引きこもごも
それが愛おしくてうざったくて
生きていくって面白いししんどい
今回の芝居の作者、ベス・スティールの考えに共感する
「オーケストラの楽器のように全ての登場人物が独自の音色を持っていて、
それがシンフォニーを作り上げる。
難しいのは、一つ一つの楽器がきわめて重要でソロとして輝く瞬間がありながら全体を構成する要素でもなければいけないということです」
今回の芝居の登場人物一人一人が個性的でありながら、誰か1人が目立つわけでなく
家族というシンフォニーを奏でていたなと思った
だから観終わった後に疲れたし、面白かったし、自分の生活を顧みる時間にもなった
それぞれが思うことを吐き出す
受け入れているのか聞き流しているかはわからないけれど、吐き出せる環境に家族があるということが羨ましかった
現実世界で思いを吐き出すってかなりエネルギーがいるし、その後の関係性がどうなっていくか考えると怖くてなかなかできないのが私だ
自分の課題が見えてしまう芝居、芝居の人物が私の代わりに言葉を発してくれているという錯覚を
覚えてしまう。
そのくらい日常的な物語で素敵な芝居でした
2025.02.28
後藤ひろひと、作、演出の舞台
FOLKER
大阪、堂島リバーサイドフォーラムにて2月23日に千秋楽を迎えました
役者、ダンサー合わせたら総勢50名近くが舞台上に立ってました
お祭りのような雰囲気もあった今回の舞台
でも物語は死刑を宣告されている囚人の話
レクリエーションプログラムとしてフォークダンスを踊ることが許されている拘置所
フォークダンスを通して仲間とのつながり
自分の犯した罪の重さ
外界への思い
コメディーの物語だけど書かれていないそれぞれの人生を想像するととても壮大な思いを巡らせることになる物語でした
基本的には東京での公演が多い中、今回は大阪のみの公演
2週間大阪で生活しながらの劇場通い
お客様がおおらかに笑うのが印象的でした
客席全体が笑いに包まれた時のエネルギーの大きさはすごかったです
また新しい出会いでした
そして次へ
2025.01.29
宮脇檀さんの建築を通して宮脇綾子さんのことを知る
昨年のコンラン展で東京ステーションギャラリーに行った時に今回の展示のことを知る
必ず見たいなと思って気に留めていて稽古中だけどふっと時間ができたので
稽古前に行ってきた
地味な展示かなと勝手に思っていたら想像以上に混んでいてびっくりした
特に女性の方が多かった
宮脇綾子さんの作品がきっと生活に根付いているからだろう
とにかくどの作品も生き生きとしていて素晴らしかった
アップリケと聞くとファンシーなイメージが私の中にあったのだけれど
全く違うものだった
スケッチしたものを布で立体的にしていく
布の持っている濃淡や質感の違う布やレース、紐を重ねて躍動感が生まれる
全てセンスだろう
とにかく踊り出しそうな野菜や魚たち
ガラスに入った果物とかにしても、ただのガラスの器ではなく、
蓋付きの品のいいヨーロッパのアンティークのような器
上質なものに囲まれた生活をしていたんだろうなと想像する
日常をとにかく観察するというのが印象的だった
日常を視点を変えれば面白いもので溢れているのかもしれない
当たり前のものが当たり前でなく新鮮に見える心
お父さんが画家でお母さんがアップリケ作家
その息子が建築家である宮脇檀
宮脇家に興味が出てきてしまいました
印象的だった日記の引用文を書き留めておく
「他人の心を動かすためには芸術家は探究者でなければならない
作者が探究すれば、見る人も、聞く人も、読む人も
作家と一緒になって探求する」
トルストイ
2025.01.06
2025.01.01